信頼関係 in 本田宗一郎と藤沢武夫
自動車メーカーの創業者の本田宗一郎氏と副社長の藤澤武夫氏は、素晴らしい信頼関係を築いていた。
藤澤氏が後進に道を譲る為に辞任を宗一郎氏にその事を言うと、宗一郎氏は、
「おれは藤澤武夫あって社長だ。副社長が辞めるなら、おれも一緒。辞めるよ。」
と答えた。
知っている人は知っているが、「技術の本田、経営の藤澤」と呼ばれるほど、役割がわかれていた。
それを示すかのように、会社の実印を藤澤氏に渡し、社長である宗一郎氏は、一度も会社の実印を見た事がないそうだ。
二人が出会って間もない頃の話で。
藤澤氏が宗一郎氏の「日本一の乗り物を作る」と言う大きな夢に共感しながらも
「私は商売人だから、損はしませんよ」
と言い、
「金じゃない何か実りをつかみたい。あなたのところに来たのは、あなたなら出来そうな気がしたからだ」
と言う藤澤氏の思いのたけに対して、宗一郎氏は
「わかった。しかし、一つだけ約束してほしい。これから何を作るかには口出ししないでくれ」
と言って、会社の実印を藤澤氏に手渡した。
作る物に対して、唯一口を出したとすれば、空冷式エンジンと水冷式エンジンに対してだけだろう。
「水冷空冷論争」の際に藤澤氏は、宗一郎氏に。
「社長、あなたはホンダの社長としての道をとりますか。それとも技術屋としてホンダに居るべきだと考えますか」
と言い、宗一郎氏は、
「俺は、社長としているべきだろうな」
と答えた。
退任が決まった後の会合でこんな会話にあったそうだ。
「まあまあだな」と宗一郎氏が言うと「そう、まあまあさ」と藤澤氏が答える。
宗一郎氏が心を込めて「幸せだったな」とつぶやくと、
藤澤氏は「本当に幸せでした。心からお礼を言います」と言い、
宗一郎氏も「おれも礼を言うよ。良い人生だったな」と言う。
こう言う会話は、相手を心の底から認め、惚れ込んでこそ出来るものである。
お互いを尊重し、認め合う強い信頼関係によって、ホンダが繁栄したのは言うまでもない。
自分は知らなかったが、宗一郎氏と藤澤氏は、昭和36年に「作工会」と言う財団を立ち上げ、主に苦学生である科学者の卵に、研究の助成を行うための基金であった。
藤澤氏は奨学金を受ける条件に
1:奨学金の用途は不問
2:レポート不要
3:将来の進路は自由
4:変換の必要なし
5:誰が支給しているか知らせてはならない
を考案した。
この財団「作工会」は昭和58年に解散したが、宗一郎氏と藤澤氏、両氏の財団らしいと思える。
この奨学生の中には、毛利衛氏もいたと言う。
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